偽弁護士の薄田美起男の嘘や嫌がらせの証拠保全し手口を暴露!
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ウイグルでは児童が誘拐され中国の都市部に売られ盗みを行う組織に入れられスリをさせられ暴行されています。

トラブル

いまウイグルでは児童が誘拐され、中国の都市部に売られ、そこで盗みを行う組織に入れられ、スリをさせられています。

新疆自治区救助所の公表する数字で、4千人のウイグル人児童が中国都市部でスリなどをさせられているとのことですが、実際にはもっと多くの人がいると見られています。

自宅がどこにあったか分からないくらい幼い時に誘拐された児童も多く、そのような子を警察が保護しても自宅に帰すことが出来ないそうです。

またウイグル人スリを捕まえると「民族問題」となり易く、そのため及び腰ということもあるそうです。

それで、捕まった児童を、スリ団の頭が保護者であるとして迎えに来ると、引き渡さざるを得ないということになります。

ここ数日、中国でスリをして捕まり、周囲の大人たちから暴力を振るわれるウイグル人の子供の映像について話題になっています。

子供が大勢の大人から暴力を振るわれるという姿はショックが大きいですね。

ウイグルから中国に誘拐されたウイグル人の児童達の悲惨な物語(1)
Sinpenzakki氏のブログから転載

中国内地におけるウイグル族ストリートチルドレンの生存状況調査

原文出典:http://phtv.ifeng.com/hotspot/200708/0817_42_193032.shtml
初出:『鳳凰週刊』2007年第17期

文 麗記者
特約ライター  ムザパル・クルバン

(一)アニワルの帰宅

もし姉が彼に祖母の家の電話番号を無理に覚えさせていなかったら、アニワルはたぶん永遠に母に会えなかっただろう。

アニワル、ウイグル族、新疆カシュガル地区カルギリク県出身。2歳のときに両親が離婚し、ずっと祖母に育てられた。小学生のアニワルはとても聞きわけが良く、成績はいつもクラスの3番以内で、級長にも選ばれた。

2005年4月27日午後、悪夢がおきた。一台のタクシーが下校中のアニワルの前に止まり、一人の中年男がおりてきて、アニワルにチョコレートを渡して、温かい声をかけた。チョコレートを食べたアニワルは知らず知らずにタクシーに乗り、その後さらに白いワンボックスカーに乗り換えさせられた。アニワルが目覚めたとき、すでに蘭州に連れてこられていた。

その後、アニワルは故郷から5000キロ以上離れた広州に連れて行かれた。粗末な部屋でアニワルともう二人の最近連れてこられた男の子は厳しい監視下に置かれた。彼らを連れだした男は、彼を「親分」と呼ぶよう子供たちに命じた。

次の日、「親分」は3人の男の子を「実習」のためにマーケットに連れて行った。アニワルははじめて自分の仕事が「泥棒」だということを知った。アニワルはそれが違法であり、アッラーも泥棒を罰していることを知っていた。「親分」は盗みをしたがらないアニワルを情け容赦なく殴りつけた。

アニワルの最初の「実習」は全然うまくいかなかった。マーケットの中で、一人の男の子が盗んだ携帯電話をアニワルに渡し、早く逃げろと言った。携帯を受け取ったアニワルは数十メートル走ると足がもつれた。持ち主はアニワルを捕まえ、彼を派出所に連れて行こうとした。その時、ずっと脇にいた「親分」が姿を現し、アニワルを「奪い」かえした。

すみかに戻ると、「親分」はアニワルが逃げ切れなかったことを責めて、手ひどく往復ビンタを食らわした。「実習」一週間後、「親分」はアニワルに正式に仕事を始めるよう命じた。彼が応じないと、「親分」はベルトで思い切り彼の太ももを鞭打ち、「実習期間」を1週間延ばした。

2週間の実習が終わって、アニワルは仕事を始めた。彼はもう盗みは怖くなかった。怖いのは盗みに失敗して殴られることだった。あるスーパーの出入り口で、一人の女性が食べながら歩いていた。アニワルは彼女の後をつけ、女性のショルダーバッグのファスナーを開けて財布をすり取った。しきたりに従い、アニワルは財布の中の650元と銀行カードを「親分」に渡すために13歳の男の子に差し出した。これはアニワルが広州に来て15日目で、最初の単独窃盗の成功だった。

アニワルはすぐに新しい生活に適応した。彼は彼を捕まえた警官に家に戻りたいという願いを伝えたこともあったが、彼を引き取りに来たのはやはり「親分」だった。

アニワルは「親分」に連れられて多くの南方の都市を「転戦」した。もう何回盗んだのか覚えていなかった。一番多いときは、6人の財布、2400元を盗んだ。その時は、「親分」は機嫌よく彼に200元の小遣いをくれた。彼は喜んで100元で服を一式買い、残りの100元で遊園地で遊んだ。

アニワルは警察に捕まることは怖くなかった。彼はすでに何回派出所に捕まったのかよく覚えていない。いつも何時間か捕まった後に帰された。彼はほとんどいつも派出所の入り口近くに彼の「親分」が待っているのが見えた。「親分」は最初から、彼らは未成年だから、漢語が分からないふりをしていれば、警察はいつまでも拘留しておくわけにもいかないし、もし警察が本気だったら、自傷行為で警察を脅せばおとなしく釈放すると教えていた。

「年齢は刑事責任に足りず、盗んだ金額も刑罰には足りないし、漢語ができても知らないふりをする。子供を一人捕まえれば、新疆人が集団で騒ぎだして、民族問題にもなるから、事を荒立てない方がいい。ふつうは形だけ数時間拘留して釈放する」。ある匿名希望の北京の警官はこうこぼしていた。

アニワルが怖いのは持ち主に殴られることだ。警察はウイグル族ストリートチルドレンの泥棒には気兼ねするので、盗まれた持ち主はしばしばこの子たちに当たり散らす。アニワルは持ち主にも殴られ、「親分」にも殴られた。

流血は全身傷だらけのアニワルにとってはもうありふれたことだ。何日か前の、最後の失敗の時にも、「親分」に高々と持ち上げられたあと、地面にたたきつけられた。

2006年7月22日昼、アニワルは再び捕まった。これまでの数時間後に釈放されるのとは違って、今回は若いウイグル人の警官ウラムジャンに会った。ウラムジャンは優しく尋問し、食べ物や飲み物も買い与えてくれた。そして弟に接するように彼を自分の宿舎に連れ帰った。アニワルに生きたいという願いが燃え上がり、突然ウラムジャンの前にひざまずき、家に帰らせてくれと頼み込んだ。

「アニワル、まだ生きていたのかい?」。祖母は電話口で泣きだした。

夜中の1時半、アニワルの母は飛行機に乗って派出所に駆けつけ、失踪して1年以上になる息子と対面した。

(二)子供一人5000元

新疆社会科学院のレポートによると、内地を放浪するウイグル族児童のうち9割が誘拐された子供だった。しかもほとんどの子が南疆の出身だった。新疆救助所のデータによると、03年1月から05年12月までに、内地で保護され自治区に戻った3660人のストリートチルドレンのうち、9割以上が南疆のウイグル族だった。

中国政府の民政部の関係者の話では、救助されるウイグル族ストリートチルドレンは全被救助児童の12.7%を占める。だが、ウイグル族ストリートチルドレンの収容は様々な原因で難しい。つまり、この数字はウイグル族ストリートチルドレンの膨大な数を反映していない。もう一つの証拠として、新疆自治区救助所によると、内地で常時放浪しているウイグル族児童は4000人だが、民間データでははるかにこれより多い。

新疆自治区公安庁の統計によると、2005年、新疆の青少年犯罪者数の全犯罪者数中の比率は2000年の14.2%から、19.5%に高まった。とりわけ新疆籍のストリートチルドレンの犯罪事件は再三の取締りにもかかわらず、2005年の立件数は2000年の倍に増えている。

新疆社会科学院民族研究所の李曉霞は、南疆のウイグル族集住地の、高い離婚率と失業率、土地に対する人口過多、極度の貧困、末端行政組織の弛緩が、いずれもストリートチルドレン出現の原因になっているとみている。南疆には、新疆の貧困人口の大部分が集中しており、新疆の35の貧困県のうち、23県が南疆にある。

ウイグル人はみなイスラム教を信仰している〔中共の民族区分では仏教を信仰するウイグル人はユグル人という別民族にされている〕。イスラム教の教義は盗みを厳禁している。80年代以降、一部の成年窃盗犯が新疆から内地に「進出」し、その後子供を使って大人の窃盗を隠ぺいするようになった。1988年以降、大人が裏で操作し、誘拐された子どもを使って盗みを行う組織が現れた。

「最近ますます多くのウイグル人の若者がイスラム教を捨て去っている。彼らは酒を飲み、盗みを働き、伝統的な道徳と風俗はひどく破壊されてしまった」。中央民族学院のイリハム・トフティ〔彼は7・5事件の後一時逮捕された〕は民族文化の消滅に心を痛める。

アクス地区のウイグル語の新語の一つの「コリチ〔ichkirichi?〕」は、彼ら人さらいをして内地で汚いカネを稼ぐ人を指す。住民は彼らの金儲けの方法が気にくわないが、彼らの豊かさはうらやましく感じている。

「私の住んでいるところに一棟の豪邸があるが、それは人さらいの家だ。一部の親は生活に行き詰まって、やくざ者に子供をケバブ売りとして渡してしまう」。アクスの何人かの子供を救助したことのある人はそう語っていた。

「ホタン地区では毎日全国各地から送金通知書が郷鎮の農村に飛んでくる。労働者が賃金を受け取って送金するのと同じだ」。ホタン郵便局の配達員は以前そうメディアに語っていた。

「3歳から16歳までいる。多いのは10歳から13歳だ。小さな子が抱きついて人の注意をそらし、大きな子が盗む。爺さんもいる。泥棒の飯炊きだ」。新疆社会科学院民族研究所研究員の続西発は語った。「一部の地方では泥棒が地元にカネを落とすのを期待して、末端幹部は見て見ぬふりをしている」。

「僕の窃盗団は16人の大人と4人の子供がいて、見つけられにくいところに住んでいた。2人の大人と2人の子供が一部屋にいた。4人の大人が一人の子供が盗むのを監視していた。大人はナイフを持っていて、僕たちが盗むときに声を上げようとする人を脅した。大人たちは僕に沸騰するお湯の中からコインを取らせ、もし取れなかったらベルトで殴った。僕と一緒に住んでいた男の子は11歳で、僕より1カ月早く誘拐されてここに連れてこられた。彼は1度逃げたが、捕まって連れ戻されたとき、ひどく殴られて死にかけた」。救助されたダルハンは、誘拐されて泥棒をさせられる子供たちにはみなつらい「実習期間」があると語っていた。

「親分」は子供たちに毎日の上納ノルマ(500~2000元)を課し、ノルマを達成できなかったり逃げようとしたりする子供は袋だたきにされる。もっと徹底して彼らを統制するために、一部の「親分」は子供たちに薬物やとばくに手を染めさせ、女の子は通例性的虐待を受ける。そして逃げた子供は「親分」から逃げ切っても、しばしば別の「親分」の手中に落ちる。

ウイグル族ストリートチルドレン救助組織が一番頭が痛いのは、救出された子どもたちの多くが年齢が低すぎて自分の家がどこだか分からないことだ。「3人の子を保護したが、小さい子は3歳、大きい子でも8歳だった。こういう小さい子は自分の家の前に駄菓子屋があったことは覚えていても、住所は覚えていない。その上今は強制立ち退きが頻繁なので、そんな商店を探すことも難しくなっている」。アクスのこの熱心なボランティアも仕方なしに子供を救助所に送り返した。

このボランティアの話によると、漢族のストリートチルドレンは養子にもらわれることもあるが、家を探し出せないウイグル族のストリートチルドレンは顔立ちが漢族と異なるので、漢族が養子として引き取ることはない。収容救助は過渡的な行為に過ぎない。つまり、もし政府がウイグル族ストリートチルドレンに適切な処遇をしなければ、彼らを待っているのは放浪――窃盗を続けることだけだ。

「その後、3人の子供たちはみな養子にもらわれた。来た連中は養うと主張し、値付けまでしてきたから、私たちも人買いと分かったが、他に誰が養うんだ? あの子たちにはみんな値が付いていた。人買いの間には横の連絡があって、名の知れた、盗みのうまい子は5000元で売れる。普通の子でも1000元の値がつくんだ」。

(三)お願いだから子供たちをあまりひどく殴らないでくれ

新疆のストリートチルドレンを収容すると、ハラルの飲食を提供しなければならず、子供たちとの意思疎通もできないので、管理は非常な難題となる。送還費用も高い。言葉が通じないので、内地の警察は犯罪だと分かっていても証言を得られず、黒幕を特定できない。たとえ長期間内地で放浪している子供でも、少数民族集住地に住んでいて、漢族は窃盗の対象とする以外、ほとんど接触がない。さらに漢族、とりわけ警察官を敵視するよう教唆されているので、たとえ捕まっても、自傷行為で反抗する。そこで、一部の派出所はウイグル人の警官を雇ってこの種の事件を処理しているが、対症療法に過ぎない。

結局、いろいろな部門は難しいので手を引き、新疆の児童は収容されず、もしくはだれかが引き取りに来たら、すぐに釈放される。こうして、新疆のストリートチルドレンは派出所に捕まっても、すぐに出て盗みを続ける。彼らの「親分」は派出所の入り口で引き取るために待っている。

内地の警察はこのように管理上の困難に直面しているのだが、住民からはウイグル族ストリートチルドレン窃盗団を放任しているとみなされており、ウイグル族の窃盗団の「親分」もますます大胆に暴れまわる。

「私がアニワルを連れ帰った次の日、彼らの「親分」は私の携帯番号を調べ出して、電話で私を脅しながら、金銭交渉を持ちかけてきた」。ウラムジャンは腹立たしそうにため息をついた。「やつらはそこまで大胆になっている!」。

当局のウイグル族ストリートチルドレン問題での無能によって、住民は怒りをウイグル族ストリートチルドレンに向けている。インターネット上では、「ウイグル泥棒」を非難する感情が噴き出し、民間の反スリ運動家は市民にむけて暴力による反スリ戦闘開始の檄文を発表し、捕まったウイグル族ストリートチルドレンが市民の暴力で血まみれになった写真がたくさん投稿されている。

佳泉は、2歳の娘がいる、河南省安陽市の教員だ。2005年末、泥棒が街中で堂々とスリをしていることに我慢ならず、安陽反スリ連盟を結成した。

佳泉は、当地では8,9軒の新疆レストランがあって、それを根拠地に新疆の子供が3,4グループ、多いときは20~30人が毎日で歩いてスリをしていると語った。同じ子供が1週間のうちに反スリ隊に何度も捕まり、「捕まえるのが恥ずかしくなるほどだ」。

最初は見ず知らずだったが、今ではこの子供たちと知り合いになった。彼らにご飯食べたか?と聞くと、盗んだものを渡さないと食べさせてもらえないとか、殴られるという。ある新米の子供は、盗みがすごく下手で、しょっちゅう我々に捕まり、そして、しょっちゅう「親分」に殴られている。彼の父親は死んで、母親は交通事故にあった。人さらいに遊びに行こうと連れ出されたそうだ。最初に捕まえた時は、彼は本当のことを話した。だがその後は、本当のことは言わなくなった。あるとき小さな子4人と大きな子1人を捕まえた。多分その中に「親分」の親戚と子供がいて、監視されていたんだろう。だから何も話さなかった。5回目に捕まえた時も、いつものジャージで、それがすっかり破れて、ひどく汚れていた。

彼らは昼間はすることがないので、大きな子が小さな子を連れて街中を歩きまわる。そして、人の後をつけて盗む機会をうかがう。夜は新疆レストランに戻って、店員になってケバブを焼く。何日か前に捕まえた子供は、小さすぎたのですぐに放したんだ。そしたら次の日、一軒の新疆レストランの入り口でケバブを焼いていた。彼は決まり悪かったらしく、私にケバブを食べるよう勧めてきたよ。

彼らは警官を見ても逃げない。警察は彼らを捕まえないし、捕まえてもすぐに釈放すると知っているんだ。警官には彼らは絶対漢語を話さないが、我々には少し話す。ある子は捕まってから、私を買収しようとした。食事をおごるとか、盗んだ携帯電話をあげるとか言ってね。もう一人の子は捕まえたら、警察も捕まえないし、警備員も捕まえないのに、なんであんたたちは捕まえるんだって聞いて来たよ。それから、我々に法律の条文を暗唱して聞かせ、どんな根拠があって捕まえるんだって聞くんだ。大人が教えたに違いないね。

あるとき、一人の子供を捕まえた。正月の7日か8日なのに、秋物の服とジャージしか着ていない。派出所に連れて行くと、すごく寒そうにしていた。派出所もどっちにしても釈放するんだが、その子の住んでいるところは派出所からはすごく遠かったから、警官に私が送って行くと言ったんだ。私が電動自転車の後ろに彼を乗せたら、彼は全身震えて泣きながら服を手繰り寄せていた。触ってみたら、2枚しか着ていなかったから、風除けのついたバイクタクシーを拾って、運転手にカネを渡してその子を送り返したよ。

佳泉は反スリ連盟結成当初はスリに暴力をふるったと話した。だが、今この子たちの話をするときは、彼の口調は父親のような愛に満ちていた。彼は、あの子たちを見るたびに、自分に抱かれて甘える娘を思い出すと話した。「あの子たちの両親が自分の子がこんな目にあっていることを知ったら、死ぬほど悲しむだろうね」。

佳泉と同じく、一部の民間人は彼ら小さいときに誘拐され、両親の手元から引き離されたウイグル族の「泥棒」たちに心を痛めている。

「一人のウイグル族の子供が売られて上海で泥棒をしていた。3年間やったあと、警察に送り返された。捕まったとき、誰かが手を上げると、彼は泣きだして隅に隠れた。いつもナンを持っていて、お腹の減った時に少しずつかじっていた。警察が送り返すために、買った服に着替えさせた時、警官までが泣きだしてしまった。10歳にもならないこの子の全身には200か所もの傷跡があったんだ。このウイグル人の子の家は大金持ちで、その家の老人はそんなふうになってしまった子供を見て、涙を流して一言も言葉が出ず、噛みしめた唇から血を流していた。この老人は最後に、君たちに100万元やるから、私に直接この子を誘拐した人さらいを殺させてくれ、と頼んだ」。ある新疆の漢族のネットユーザーは内地の反スリグループに暴力を乱用しないように絶え間なく呼びかけている。彼は、多くの人に「新疆泥棒」の悲惨な運命について知ってほしいと願っている。

「お願いだから子供たちをあまりひどく殴らないでくれ」と彼は呼び掛けている。

(転載自由・要出典明記)

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